エンゲージリング 胡蝶蘭

profile | 自主映画監督・酒井 啓


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酒井 啓 ( sakai akira )

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●幼少時代
 1974年3月17日、巣鴨、とげぬき地蔵商店街に生を受ける。祖父は地元の政治家で近所の人たちから「お坊ちゃん」扱いを受け、調子にのる。アトピー性皮膚炎を患い食事療法を強いられる。

●小学校時代
 千葉県に引越す。何をやってもうまくいかなかい時代。「缶蹴り」中に車にはねられ3ヶ月ベッドに張り付けになり、肉体的精神的に追いつめられ、少し達観する。勉強できない、友達できない。今もそうだが、しゃべらない子供だった。心配した親にカウンセリングに連れていかれる。なぜか地域のサッカーのクラブチームでキャプテンを任される。市内選抜に声がかかり、あわよくば、と一瞬思う。

●中学校時代
 走力、接触プレーに自分の限界を感じサッカーを諦め、ビートルズ研究クラブに入る。『 Help 』のPVにプリミティブに感銘をうける。あまりの学力不振に、高校進学も諦めかけたがが、2年次後半がら急激に学力がアップし、間に合う。このころから太宰治、三島由紀夫、村上春樹などを耽読するようになる。初めて女の子を映画に誘う。ニューロマンティック音楽にはまる。

●高校時代
 庭球部に入る。結局毎日走らせられる。部活や読書に精を出す毎日。このころから授業を休みがちになる。恋をするが玉砕する。ある日、友達と東京ファンタスティック映画祭で『カルネ』を観て「映画って凄い」と漠然と感激する。川端康成、村上龍、ショーペン・ハウワー、コンスタン、など乱読しはじめる。部活を引退しタバコを始める。テニスは今でも好きだが、あまりうまくはならなかった。この頃はまだ、映画は作るものというより観るものだ、と思っていた。

●大学時代(前半)
 浪人時代を高田馬場で過ごし大学に入学する。映画サークルに入る。一眼レフカメラを始める。恋をするがまたも玉砕する。知的好奇心に火がつき哲学、文学、映画、音楽、小説、美術、マンガ、等を可能な限り摂取する。アテネフランセ、日仏学院に通う。この頃から、嗜好品に強い興味を持ち始める。友達の映画の撮影を手伝い始める。また、家出同然で実家を出て姉と2人暮らしを始め、様々なバイト、好奇心、授業に追われるようになる。専攻は西洋哲学を選ぶ。

●大学時代(後半)
 こんなことでは駄目だ、と思い、実家に戻り、8ミリ映画製作の準備を始める。広告代理店でバイトを始める。院に進学するかどうか悩む。小金があったので渡仏する。映画で観たカットが街の至る所に見つけられ感激する。シネマテークに足を運ぶ。帰国後、結局日本に居るのと同じ生活しかできない事を実感。本格的に8ミリ映画製作にのめり込み、卒業や就職のタイミングを逃す。中退は嫌だったので意地で卒業する。映画は完成したが、酒に溺れはじめスキットルを持ち歩く。ふしだらな生活をおくるようになる。

●大学卒業後 〜 10年間
 DVで短編を数本製作する。大学時代に、いわゆる「遊び」をする暇がなかったことに気づき、慌てて避暑地や旅行に出かけるようになる。バイトでフジロック・フェスティバルに行き音楽漬けの毎日に感動する。この頃からアルコールよりカフェインが欲しくなるようになる。
 本格的にDV全盛の時代になり、友人を交え、撮りたまった作品の上映会を定期的に行うようになる。バイト先が閉鎖し無収入になり、引きこもりのような生活をおくる。商業映画の現場に足を運ぶ。出版社でバイトを始める。過去に出品した作品が映画祭や上映会に呼ばれるようになり、少し調子にのる、がネタがきれる。ようやく名刺代わりの自分のホームページ作りに着手する。次回作こそ国際映画祭に出品すべく「16ミリフィルムで長編」を、と思うが、かかるお金の事をよく考えるとDVになってしまう、という思考を何万回と繰り返し、映画館で流せる映画を撮るまでは死なないようにしよう、と思うようになる。再びバイト先が閉鎖となり、慌てて仕事を探しひとまず大学職員として広報の仕事をするようになる。ITパスポート試験に合格。

●その後
 初めてテニュアな職を得る。法人サイトの運営など、ここ2年はWeb編集が生業となる。Webデザイン技能検定2級(学科)に合格。ワールドカップ南アフリカ大会を機にエコポイントを利用し大型液晶テレビとブルーレイレコーダーを購入。HDVの撮影・編集のテストを行うが、長年親しんだテープフォーマットよりAVCHDの方が時代に適していると思うようになるが、編集を考えるとPCの購入も含めて踏みとどまる、という思考を繰り返すようになる。飼い猫のミッシェル(20歳・♀)に蚤が大発生し貧血と脱水で瀕死の状態となる、が連日の点滴等の家族の支えによりどうにか踏みとどまる。この蚤に両足計100箇所以上刺され劇薬ステロイド「デルモベート」の世話になる毎日を送る。シルバーウィークを利用し自身のWebサイトのリニューアルを行う。PRプランナー(補)を取得。

●3.11以降
「暗黙の了解事項」の滑稽さが露呈したように感じるようになる。今までとは異なった生き方を選択するよう心がけるようになる。反原発のデモ等の撮影を行う。ここ数年間、HDVカメラが気になっていたが、AVCHD市場の安定を感じ2010年のCANONの民生ビデオのフラグシップ機 iVIS HF S21を安価で購入する。飼い猫のミッシェル(23歳・♀)が亡くなる。20年以上一緒に暮らしていたので妹を亡くしたような気持ちをになる。肩こり(肩甲骨)に限界を感じ、震災の影響でタイミングを失っていたが、近くのスポーツクラブで水泳を始める。定期的に運動をするのは実に20年ぶりだ。編集PCとしてApple iMac 27-inch, Mid 2011を、編集ソフトとしてFinal Cut Pro Xを購入。手持ちがなかった機材周りを整え本格的に次回作の準備を始める。

●水泳からランニングへ
2012年から運動を始める。手始めに近くのプールの会員になるが泳げないので、YouTubeで泳ぎ方を覚えるところからのスタートとなる。体が重すぎるので、 最初は端のレーンでおじいちゃんおばあちゃんと一緒に水の中を歩くトレーニングからスタートする。何度も試みたもののやはり息継ぎには抵抗を感じ、背泳ぎ一本に絞り練習を続けるようになる。次第にゆっくりしたペースなら数キロは泳ぐことができるようになる。引っ越し後、プールの環境が見つからす、ランニングを開始する。痩せるに従い顎の脂肪腫が目立つようになり外科的に処置(手術)することとなる。全身麻酔が必要とのことでこれを機に禁煙する。

●陸連登録
思いの外ランニングにのめり込み、初年度には見事に、足のつま先、爪、足の裏、足首、膝、股関節、腰、ふくらはぎ、ハムストリング、等々、代表的な関節、筋肉にトラブルを起こすがどうにか回復する。2年目にはレースにエントリーし始めるようになり湘南国際マラソンでフルマラソンデビュー。後半足には経験したことのない脚の痛みに襲われフルマラソンの洗礼を受ける。映画では叶っていない、海外のメジャーレースに出場することをとりあえずの目標とすることにする。2015年、東京マラソンに当選しサブ3.5を達成。村上春樹氏の記録をクリアするとともに、別府大分毎日マラソンの出場資格を得て出場し、3時間21分53秒の自己ベストで完走。海外のマラソン大会出場を視野に入れるようになる。


■twitter
https://twitter.com/ak_sakai


☆機材
■カメラ
Canon iVIS HF S21
Sony VX-1000
■ワイドレンズ
RAYNOX HD-7000PRO
■マイク
Canon DM-100
■三脚
SLIK HD3400PRO
■一脚
Velbon Pole Pod (RUP-V40R+ULTRAmini2)
■PC
Apple iMac 27-inch, Mid 2011
Apple iMac-2.16GHz (24inch)
■編集
Final Cut Pro X
Adobe Premiere Pro CS4